2025年9月7日、福島県南会津町にある「会津高原尾瀬口駅(あいづこうげんおぜぐちえき)」を訪ねました。尾瀬や会津駒ヶ岳(あいづこまがたけ)への玄関口として知られた駅ですが、直通バスの発着変更や「憩いの家」食堂の休業により、現在は人影も少なく落ち着いた雰囲気です。本記事では駅舎やホームの様子、「憩いの家」の現状、そして売店で見つけたお土産までを現地の写真とともに紹介します。
会津高原尾瀬口駅とは
会津高原尾瀬口駅(あいづこうげんおぜぐちえき)は、福島県南会津町にある会津鉄道と野岩鉄道の接続駅です。かつては「会津高原駅」と呼ばれていましたが、2006年に現在の駅名へ改称され、尾瀬や会津駒ヶ岳(あいづこまがたけ)を目指す観光客の玄関口として親しまれてきました。

東京・浅草からは東武鉄道の特急リバティ会津が直通運転を行っており、乗り換えなしで約3時間ほどでアクセス可能です。駅の周囲は南会津らしい山々に囲まれ、四季折々の自然を楽しめる環境にあります。

鉄道ファンにとっては、会津鉄道と野岩鉄道の「分岐点」としても魅力的な存在であり、浅草方面から続く電化区間と、会津若松方面へと伸びる非電化区間の境界を体感できる場所でもあります。
駅舎と「憩いの家」
会津高原尾瀬口駅の駅舎は、木造の素朴な造りで、改札口と小さな待合スペースを備えています。観光の拠点としては決して大きな施設ではありませんが、南会津らしい静かな雰囲気を感じられる場所です。
その隣に併設されているのが「会津高原駅プラザ 憩(いこ)いの家」。こちらが三角屋根に大きな時計を掲げた特徴的な外観を持ち、駅前のシンボルになっています。

かつて憩いの家には食堂「恋路茶屋(こいじちゃや)」があり、ラーメン・そば・うどんを一度に楽しめる名物「三種合体麺」が名物でした。しかし、2024年秋に食堂は営業を終了しました。尾瀬方面への直行バスが会津田島駅発着に変更されたことで利用客が減少したことが背景とされています。

駅前広場は人影が少なく、静かな空気が流れていました。かつて登山シーズンには尾瀬を目指す人々がバスを待っていた場所ですが、現在はその姿も少なくなっています。

現在は憩いの家の売店のみが営業を続けており、観光客向けのお土産を購入することができます。駅舎と憩いの家をあわせて訪れることで、この駅の役割と現在の姿を感じ取ることができました。

会津高原尾瀬口駅は尾瀬や会津駒ヶ岳の
登山口として知られています。
登山やハイキングの計画を立てる際に
欠かせないのが「山と高原地図」。
最新2025年版は登山道や山小屋情報も
反映されており、事前準備に最適です。
駅構内とホームの様子
会津高原尾瀬口駅の構内に入るために入場券を購入しました。改札を抜けると、かつて観光客で賑わっていたと思われる広い通路が続いていました。しかし、現在ではほとんど人影がなく、静寂が漂っていました。

ホームに出ると、周囲を山々に囲まれた線路がまっすぐに伸び、浅草や新宿方面へ直通する特急リバティの姿を想像させます。



構内は整備が行き届いているものの、利用者の少なさが際立ち、静まり返った雰囲気でした。鉄道ファンにとっては分岐駅としての特別さを体感できる貴重な場所ですが、観光拠点としての賑わいは過去のものになりつつあるように感じられました。

会津高原尾瀬口駅は鉄道ファンや
旅好きにとって興味深い場所。
そんな駅を舞台にしたミステリー小説が、
西村京太郎の『会津高原殺人事件』です。
鉄道ミステリーと南会津の雰囲気を
同時に楽しめる一冊です。
訪れて感じたこと
会津高原尾瀬口駅を実際に歩いてみると、かつて尾瀬や会津駒ヶ岳(あいづこまがたけ)登山の玄関口として多くの人で賑わっていた姿を想像しながらも、今は静けさが強く印象に残りました。駅前広場は人も車も少なく、駅舎に併設されていた食堂も閉鎖され、現在は売店だけが細々と営業を続けています。
しかし、浅草から直通する特急リバティが発着する数少ない駅であり、会津鉄道と野岩鉄道をつなぐ鉄道上の要衝であることは変わりません。駅構内やホームに立つと、南会津の山々に囲まれた環境と、鉄道の終着点に立っているような特別な空気を感じます。

尾瀬方面への直通バスが廃止されたことで観光客の流れは変わりましたが、この駅自体が持つ役割と存在感はまだ残っています。今後も南会津観光の入り口として、鉄道ファンや旅人にとって訪れる価値のある駅であると感じました。
会津高原尾瀬口駅の周辺を歩いた後は、
南会津や会津若松など広域の観光も楽しみたいところ。
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カフェや宿、散策スポットを可愛い誌面で
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